「幸せってなんだろうね」って友人から言われた話
先日57歳の誕生日を迎えた私。
アラフィフなんて言っていたのもつかの間、もうアラ還……。
まあ、誕生日なんて言っても何があるわけでもなく。
古くからの友人や、仕事仲間から「お誕生日おめでとう!」とメッセージをもらい淡々と過ごしていました。(ありがとう!)
節目の時って、なんかこれまでを振り返ったり物思いにふけることありません?
幸せって何だろうね?
シングルである友人の一人娘の婚約パーティーで訪れていたオーストラリア。


幸せって何だろうね?
夜、ホテルの部屋でそう言われたことを思い出しました。
仕事、子育て、介護、自身の病に追われて必死に生きてきて、いざ、娘の結婚でほっとするのと同時に、これからどう(何を新たな軸に?)生きていったらよいのか迷いが本格的になってきたのだろうと感じました。
一人娘が海外にいるからこその「娘にできるだけ負担をかけないように残りの人生をどう生きていくか」という思い。
「ここに移住できたらよいのに……」
ぽつっと彼女は言いました。

幸せか……。
人生の舵を自分の手で握り続けていられることかな。
それって、時間の自由と経済の自由を握っていられるっていうことだと思っている。
そこに、人生のひとときを一緒に楽しめる誰かがいたら幸せだな。

確かに。

仕事(経済)と引き換えに時間の自由を明け渡す時期はあるけれど、人生の終盤はそれを取り戻していかないと。
難しいことだけどね。
真の健康とは?

友人に「幸せって何だろうね?」って言われたとき、思い出したのがこれ。
誰しもアラ還になると幸せについて思いをはせるんでしょうね。
69歳になった直後に亡くなった父が、その数年前に「真の健康」という書を我が家に持ってきました。
ここでいう「健康」は、「幸せ」と同意だと思っています。
真の健康
一、経済的に健康
一、精神的に健康
一、肉体的に健康
一、家庭的に健康
一、社会的に健康
すべて満たすのは難しいですね。
健康(幸せ)って思えるラインも人によって様々だし。
そのころ父はまだ健康でしたが、人は人生の終わりに近づくとその答え合わせをしたくなるのかもしれません。
そして、子どもには自分では満たせなかった健康(幸せ)に早く気づいてもらって、健康(幸せ)に生きてほしいと願うのかな。
正直この額をもらった時、伝えたいことは理解できるけど部屋に飾るのは厳しいなと、ずっと押し入れに入れたままでした。
でも、形はどうあれ、父が起こしたアクションはずっと私の中に引っかかっていて、自分の健康(幸せ)を考える時の一つの物差しになっています。
同意できるかどうかは別として、こういうアクションを起こすことで、子どもである私が考えるきっかけになっているのは間違いありません。
息子たちがもう少し社会経験を積んだころ、「おじいちゃんが、私たちにこんなものを残したんだよ」と伝えようと思っています。
私の現在地
時間の自由を握る
両親が思いのほか早く亡くなってしまい、子どもは社会人と大学生。
家族のケアにかかる時間がなくなったため、時間の自由は握れるようにはなりました。
一方でそれは、時間を明け渡すほどの仕事がないとも言えます。
何物にもなれなかった自分という思いが、いつも付きまとっています。
経済の自由を握る・経済的に健康
これはね~、どうなるんだろうな~。
ライフステージの変化で、それまでの仕事や雇用形態を継続できず、そのまま思うようにはならなかったという日本人女性に多いパターン。
残りの健康寿命を考えたら、労働に比重を置くのももう違うと思ったりしています。
そんなことを言っていられるのは、20代半ばの私のおかげ。
当時、不安定な性だからとお金の仕組みを整えはじめたことで、今の私が救われています。

労働から得られる経済力ややりがい、自己肯定感はないけれど、両親を亡くしてから本腰を入れ始めた資産運用では生活のハリが得られているかな。(利益も得られると尚よし)

精神的に健康
57年も生きていると負の大波が押し寄せることは何度もあったけれど、今日常を送れているだけで◎なんだと思います。
一線を越えて、通院が必要になってしまった人たちも見てきました。
だから、
特別ハッピーな毎日じゃなくてよい。
心の中が凪であれば上出来なんじゃない?
と思っています。
肉体的に健康
健康診断行かなくちゃな~。
痩せなくちゃな~。
多分、母方の遺伝だと思うけれど、(日常生活に大きな影響がない程度に)聴力が弱めで、実年齢より+10~15歳程度の聴力なのです。
ガヤガヤしたところでコソコソ話をされると、聞き取れないことが多いです。
50代になると亡くなる同級生がいたり、大病を患う同級生も出てくるので、通院の必要がないというのは◎。
通院しても切ったり縫ったり、薬を飲んだりして治ればよい。
これは、難病を患った母を通して思ったことです。
最近は時々、ウォーキングするようにしています。

家庭的に健康
これは私にとっての一番の問題!
子どもが社会人になったら離婚することを、20年以上モチベに生きてきました。
詳しく言ったらキリはないのだけれど、夫婦観・家庭観の違いがどうにもならない。
節目の時に何度か離婚の話をしたけれど、質が悪いことに本気と受け取っていない模様。(いや、最近はやっと理解した模様)
まあ、そんな夫婦だから、子どもにストレスをかけたことは反省しているけれど、ストレスは最小限にとどめたつもりではいます。
長男は「この家を出たい」「親父みたいにはなりたくない」をエネルギーに変え、就活を頑張って無事に巣立って行きました。
ただ、大学生の次男は友人関係もいろいろあったようで現在休学中。
暗闇の中をあと少し(?)抜け出せずにいます。
社会的に健康
「社会的に」とは?
社会的な役割を果たせているかということなんだろうけど、どういうことかGeminiに聞いてみました。
社会的役割の2つのタイプ
| 種類(専門用語) | 意味 | 具体例 |
| 生得的(せいとくてき)役割 | 生まれつき決まっている、または自然になる役割 | 「子ども」「兄・姉」「高齢者」など |
| 獲得的(かくとくてき)役割 | 自分の選択や努力、経験によって手に入れた役割 | 「会社員」「美容師」「夫・妻」など |
なるほどね。
私は、獲得的役割がうまくいってないんだな。
「家庭的に健康」ともつながるんだけれど、夫婦関係が危篤状態。
人は変わらないし、
変えようとも思わない。
ともにいることが無理ならば、
子どもに対する責任を果たして、
(「経済の自由を握る」ことが大前提なんだけど)
自分が去るだけ。
おわりに
人生は危機管理ゲーム
元プロ野球選手の里崎智也さんがYouTubeで言った言葉で、ここ数年で私が一番腑に落ちたフレーズです。
「幸せ」の切り口はいろいろとあるし、そう思えるレベルは人それぞれなんだけれど、人生を脅かすような大きな危機に至っていないこと。
不慮の事故や事件に巻き込まれることもあるし、それって案外難しい。
そして、
「ちょっと聞いてよ~」
「今度あそこ行ってみない?」
「元気にしてる?」
そんなことが言える誰かがいたら、彩があって幸せだと思います。




