【実家の片付けから考える】これからの生き方
この半年、折に触れ実家の片付けをしてきました。
年末年始も実家でのんびり片付けをしています。
自分の終活を考えている方
残されたものには、その人の生きざまが表れますね。
そして、その生きざまに触れたとき、
「自分もこうしたい」
「自分だったらこうしよう」
など、これからの自分の生き方を考えることになります。
終活いつするの?
子育てがひと段落した50代の今でしょ!
体力がある、頭がしっかりしてる、今のうちに就活して安心してこれからを生きるのがよいと思っています。
還暦を迎える5年後に
「これ、お母さんの終活ファイルだから!」
と、子どもたちにドヤ顔で見せて、中身をしっかり説明するのが目標です。
もちろんその後も人生は続くはずなので、終活ファイルのアップデートはし続けていくつもりです。
立つ鳥跡を濁さず
このブログのサブタイトルにもなっている「立つ鳥跡を濁さず」という言葉。
50年経った今でも忘れません。
幼稚園の春休みに覚えました。
母の仕事が休みだったある日、母はもくもくとお皿を洗いながら、横にいた私に
「飛ぶ鳥跡を濁さずっていうのよ」
と言いました。
(「立つ鳥」が正式ですね)
そして、離婚を決意していた母は、兄と私を連れて徒歩10分の実家に帰ったのです。
結果、元のさやに戻ったのですが、それは母の生き方(性分?)を象徴していたように思います。
事務仕事には特にそれがよく表れています。
書類はだれが見ても分かるようにきちんとグループ分けされ、手書きの帳簿は綺麗に記帳されていました。
Excelや電子帳簿システムに慣れてしまっている私には、手書きでミスなく帳簿を管理できるなんて神業としか思えません。
時代の波に乗って父が広げた事業を何年もかけて、それこそ施設の中でも仕事を続け、綺麗にたたんでいてくれました。
父の代からお世話になっている税理士さんからも感心され、お褒めをいただくほどでした。
まあ、母には敵わないのですが、還暦を迎えるときに子どもたちに終活ファイルをドンと見せてカッコよくありたいと思う私は、そういう母の血が流れているのだなと思っています。
残すなら邪魔にならない本物を
古美術品
もうこれは絶対残さない!(そもそも所持していないけど)
私が小学生の頃、父が半分投資目的であほほど絵画や壷を買っていて、一時は見えるところにも見えないところにも古美術があふれた家でした。
父が亡くなってから、母が付き合いのあった業者さんを呼んで、値が付きそうなものはほとんど処分してくれました。
今残っているものは価値がないものだから、(自分に何かあったら)捨てて大丈夫だと聞かされていました。
これ、とても助かったのは、物理的に物を減らしてくれたのもそうなのですが、何より選別をしてくれたことです。
興味がなければその価値が分からないものをふるいにかけて、「捨ててよいもの」だとはっきりさせてくれたことで罪悪感や迷いなく処分できました。
いよいよ「捨ててよいもの」を処分する日が来て、古美術屋さんに鑑定して引き取ってもらいました。
唯一少しは値が付くかなと想像していた、とある画家さんの油絵。
当時のことを覚えている伯父曰く50万だったというその絵は5千円。
その他の雑多な美術品と合わせても数万円。
今の生活様式や流行りのデザインとは親和性のない昔の美術品などそのようなものです。
自分で粗大ごみに出すことを考えたら、まとめて引き取ってもらえるのはとても助かりました。
自分が身の回りに置いて気分よく過ごせる数点のみで十分です。
宝飾品
結局のところ、古美術屋さんに鑑定してもらって一番値が付いたのは宝飾品(金・プラチナ・ダイヤ・真珠)でした。
指輪もネックレスも、本物を気分よく楽しんでおけば無駄にならないですね。
アクセサリーに関しては、本物ならこれからも気に入ったものを購入して楽しむのはありだと思いました。
独身時代に両親に買ってもらった指輪があるので、冠婚葬祭で使えそうなセットもの以外は写真だけ撮って手放しました。
かさ張らない趣味のもの
これはいいなと喜んで残したものは1枚の「書」です。
母が50代の頃だったと思うのですが、書道を習っていました。
戒名を付けるとき、住職さんに生前の趣味を聞かれ、書道でもらった名前はないかと聞かれました。
「そういえば条幅の作品があったはず!」
もう20年くらい2階の部屋に無造作に置いてあった作品をすべて広げたら、提出用だったのでしょう、1枚だけ篆刻(てんこく)が押されたものが見つかりました。
準師範の資格まで取っていたので「俊香」という名前をもらっていて、それが戒名の一部となりました。
全会一致でみんなが「最高じゃん!」と思える戒名も得られるって素敵です。
作品そのものは告別式の待合室に展示し、後に掛け軸として表装してもらいました。
しわしわで破れもあった作品が美しくよみがえり、本当によかったと思っています。
こういうものって、よくわからないけど「すご~い」ってなりますよね。
お線香をあげに来てくださった方とのアイスブレイクとして活躍しています。
<読み>
閑にして水竹雲山の主と為り、静かにして風花雪月の権を得たり
<意味>
世俗の忙しい生活を離れると自然(水竹雲山)の主となることができ、自然界の美しさ(風花雪月)が分かるようになる
これを見るたびに、自然の主となって穏やかに過ごしてくれているといいなと思います。
値が付くものではないけれど、家族にとっては価値あるもの。
それでいて場所を取らず、残しやすいもの。
母をまねて書を習ってみようかと思っているところです。
遺影撮影も楽しみに変える
わが実家、私の祖父の時に初めてお葬式を出しました。
その時、遺影に使う写真にすごく困ったのもあり、母は祖母の時に向けて、そして自分用も意識的に写真を残していました。(父は急だったのでやはり大変だったかな)
年寄りの「遺影は準備してある」は信用できない
母は自分の遺影も準備していました。
ダメ!
全然ダメ!
使えない!
写真館で撮った写真ですが、何かを覚悟したその表情は暗すぎて……ダメ!
そんな写真を飾ったら、残された者は見るたびに悲しくなります。
ダメというより、イヤ!
ちなみに、伯父も
「俺は大丈夫だ!スマホでちゃんと撮ってある」
とドヤ顔で言うのですが、これもダメ!!!
スマホで自撮りしているため、距離が近すぎたり、視線もうつむいているのです。
幸い、オープンにそういう話をできるタイプのため、その場で撮影会をしました。
孫と一緒の時間には素敵な笑顔が撮れる
孫の力は偉大です!
孫と一緒に写ったり、孫が遊ぶ姿を眺めている表情はよい!
病気が進行してからの写真は、やはり病人の顔。
5年前でも10年前でも、元気な笑顔の写真の方が心が痛みません。
母が自分で準備した写真は私が気に入らなかったため、私が自然なタイミングで撮ることを決めていました。
母の遺影は、これから施設に入るよという時に応接間で孫に囲まれて撮った一枚です。
綺麗にお化粧をして、お気に入りのアクセサリーを付けて、(孫がいる空間なので)とてもよい笑顔をしています。
「これ、将来の遺影に使うからね~」
と、あっけらかんと(でも本気で)言い放っておきました。
今親に何かあったらどうしようと思ったみなさん、子どもの写真を撮っているふりをして、シレっと親の写真を残してみてください。
お誕生日におしゃれランチに誘って、サプライズのバースデープレートとともに撮るのもいいですね。
友だちと楽しくプロに撮ってもらおう
さて、私!
誰かが撮っておいてくれるなんて期待できないので、自分で準備します。
孫はいないので、友だちとキャッキャしながら撮影会をするつもりです。
1つのイベントとして、数年に1度撮っていこうと思います。
数年前、仕事でプロのカメラマンに撮影してもらう機会がありました。
自己肯定感はあまり高くない私ですから、自分の写真を撮ってもらうことに勇気がいりました。
それでも、仕事仲間と一緒に撮ったためたくさん笑わせてもらい、みんなでレフ版を交代で持ち、プロのマジックでお気に入りの写真を手に入れることができました。
もちろん、顔のしみもちょこちょこっと隠しましたよ!
いつか子どもたちがそのエピソードも含め、お母さんらしいよなと苦笑いしてくれたら本望です。
人生を楽しむことが家族を安心させる
「母は苦労ばかりして、自分の人生を楽しむことができなかったのではないか」
兄はそう思っていたようです。
母は21歳で結婚し、22歳で兄を産み、24歳で私を産みました。
商売人の長男に嫁ぎ、義家族とともに朝から晩まで忙しく店に立っていました。
気性の激しい父と義母に本当によく耐えていたと思います。(私だったら無理だな)
父はどんどん商売を広げ、その実務をするのはいつも母。
いつ寝ていたんだろう。
今の私の年齢のころには事業を転換し、店に立つことはなくなっていて、初孫にも恵まれていました。
若い頃できなかった旅行もしていました。
同性の娘とは違って、兄は母のそういう話をあまり聞く機会がなかったようです。
母があちこち旅行を楽しんでいたことを知って、安堵していました。
自分が人生を楽しむことは、残された者の救いにもなるのだなと感じたものです。
実家じまいに向けて
実家は兄が相続しました。
お仏壇があったり、近所に親戚がいたり、お墓も実家近くにあるため、いつでもしまえる状態にしつつ、しばらくは趣味を楽しむ家として維持していくようです。
兄の家は子どもが一人。
いつかは兄とその子で実家じまいをする予定です。
私としては、その時に兄や甥の負担が少しでも少なくなるよう家の中のものをコツコツ処分していくつもりです。
「ここにあるものだけ、○○ちゃん(甥)から見て必要かどうか判断してもらえれば、後は家ごと解体して大丈夫だよ」
と伝えるつもりです。
そんなコツコツも1周忌が過ぎると気持ちが途切れると思うので、あと5ヶ月が勝負。
リビング収納の残りと、キッチン周り、写真のデータ化を終わらせなければ。
建坪66坪の大きな実家を1周忌までに整理できるのは、母が終活をしっかりしてくれていたからこそ。
本当に感謝しています。
私もそんなふうになりたい。