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【50代の生き方】ホームカミングデーに思うこと

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コロナ禍で延期された高校のホームカミングデー(同窓会)が、今年やっと開催されました。

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その間、いろいろなやり取りから透けて見えるそれぞれの生き方に思いをはせることがありました。

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オンライン上に集う懐かしい人々

学年のグループLINEができた

今は便利ですね。
往復はがきを使って卒業名簿や同窓会名簿に載っている実家住所にお知らせを送り、そこからご家族を通して本人に連絡が入るなんてことはありません。

50代の私たち世代でも何かしらのSNSは1つくらい利用しています。
母数が多くてグループを作れるという点で、LINEが選ばれるのは自然な流れです。
幹事さんがLINE、Facebook、メールなどでつながっている同級生に声をかけ、そこからさらに声をかけられる同級生へとどんどん情報が伝わり、LINEグループのメンバーが増えていきました。

私も何人かの友人をグループに招待しましたが、卒業以来連絡が取れなかった人と連絡を取るようになったとお礼を言われることがありました。
最終的には学年の半分ほどの人数が集まりました。
幹事さんの頑張りで、当初は参加していなかった人も開催直前になんとか情報が届いたのか、駆け込みで参加した人が結構いました。
(個人のポリシーにより、LINEではなく他のツールで連絡を取っていた人もいました)

集えるとは

何らかの手段で誰かと卒業以来のつながりがあるからこそオンライン上に集まれたわけです。

そういう意味では、最後までLINE上にも誰かの他のツールの中でもつながりを見つけられなかった人も半数近くいるということ。
学校時代の人間関係が上手くいっていた人ばかりではないでしょうし、年賀状でつながっていてもあるときから途絶えてしまった人、名簿の住所を更新していなかったために連絡が取れなかった人もいるでしょう。

中高一貫の学校で、小学校を卒業したばかりの子ども時代から成人を迎える一歩手前までの、特に内面の成長が著しい6年間をともに過ごす環境でした。
それぞれにとって、その時代が肯定的にとらえられるものだったのかどうか、そんなことも影響しているのだろうなと考えてしまいました。

なぜその距離感?

18歳で高校を卒業してから54歳の今年まで、(信じられないけれど)36年もの月日が流れました。
けれど、私は久しぶりに連絡を取った友人との距離は、昔と変わらないと感じていたのです。
「昔と変わらないね~」
「ずっと連絡とっていなかったと思えないね~」
私の身近なところでは、そんな言葉から会話が始まっていました。

「男はプライドの生き物」とはよく言ったもの

けれど、男性はちょっと事情が違うのですね。
グループLINE上で、「ちょっと聞きたいんだけど、○○なの?」と昔のような口調で語りかけてくる人ももちろんいます。
むしろその方が多かった。

けれど、
「お世話になっております。」←まあ、幹事さんにお世話になってるからね。
「○○さん、~」←いやいや、そんな堅苦しい呼び方してなかったよね。
「承知しました。」
「引き続きよろしくお願いいたします。」
って、仕事か???
私はすごく違和感を感じたのです。
私の育ちのせい?
それとも、社会人として私は何か常識が足りない?←いや、社会人というより同級生同士の会話だから。
モヤモヤ……。

久しぶりで気恥ずかしい気持ちもあるし、いい大人なので「○○ですか?」と丁寧語になるのは不思議ではありません。
ビジネス口調が違和感でした。

性別でひとくくりにしてはいけないと思いますが、男性にしかみられない傾向でした。
社会的地位なのか何なのかわかりませんが、そこに何かしらのプライドを感じずにはいられませんでした。

と、感じてしまう自分に対しても、うがった見方をしているのではないかとモヤモヤするのです。

悲しい知らせ

お世話になった先生方の中には、亡くなられた方もいらっしゃいます。

そして、同級生の中にも亡くなられた人がいました。

「最近○○さんと連絡が取れないんだけど、何か知ってる人いる?」
そんな一言から、病気で重篤な状態になっている同級生がいることも知りました。

50代はそういう年代なのだと、現実を突きつけられました。
親やお世話になった目上の方だけではなく、自分たちも何が起きてもおかしくない……。

オンライン色紙にざわつく

オンライン寄せ書きサービス「yosetti(ヨセッティ)」

ホテルで開催されるホームカミングデーに参加できない人も多いため、参加する人も欠席する人もみんなで先生方に色紙を書こうとの呼びかけがありました。

初めてyosetti(ヨセッティ)を利用したのですが、知っておくと便利ですよ!
写真をアップロードし、80文字程度のテキストを入力して、オンライン上の色紙に寄せ書きができます。
デザインは260種類以上あるので、使い勝手がよいと思います。

  • Webでのお届け:無料
  • PDFダウンロード:550円~
  • 色紙プリント:2,948円~

と、仕上がり形式も選択できます。
幹事さん、いろいろ考えて準備してくださってありがとう!

ひがみなのか?性格が悪いのか?

まずは幹事さんが投稿し見本となってくれました。
引き続きそこに投稿してくるのは、やはり充実した人生を生きているのだろうと感じずにはいられない人たちでした。

「○○商事に勤務。海外で○○の仕事をしています」
「○○総合病院に勤務。プライベートでは○○をしています」
「○○会社を退職後、起業し~」

数人が投稿した後、パタリと投稿が止まった気がしました。
特別な肩書や組織名を持たない私としては、そこに並ぶのは勇気がいることでした。
「パタリと止まった」と感じたのは、同じ思いをしてる人が多かったからかな……。

しばらくして、投稿されたものには、
「○○在住(ブランド力のある地名)、休みの日には○○に行くのが楽しみです」
「○○会社に勤務し、家庭との両立ができています」
「○○(ブランド力のある職業)をしていましたが、現在は専業主婦を満喫中です」

次のフェーズで出てきたのは、
「娘が○○大学(日本の最高峰)、息子が○○大学医学部に通っています」

はぁ、子どもまで出てきたか……。

いいんですよ、有名企業や社会的地位のあるお仕事に就いているのはその人の努力あってこそ!
純粋に素晴らしいと思います。
学生時代から頑張っていたのを知っていますから。

そこと比較せず素直に今の自分をさらけ出せない、自分のこれまでの生き方を受け入れられていないかのような自分がいたのです。
それと同時に、きっと同じようなことを感じた末に、自分の生活の中にある権威のようなものをかき集めてきて、今の生活をアピールしているかのような投稿に引っ掛かりがありました。

自分のひがみなのか、性格が悪いのか、そう思ってしまう自分にモヤモヤするのです。

自分だけではなかった

友人A

「そう感じる自分に問題があるのかもしれないけど、なんであんなにマウントを取るの!」
彼女はそこに並んでもまったく引けを取らないのに、私と同じようなことを感じていました。
たまたま会う機会があった時に、あちらからそう口火を切ったのです。

友人B

「色紙の○○さん見た?あんなこと書くなんてヤバくない?」
個人LINEにそう送られてきました。
やはりそう感じるのは私だけではなかったのか。(ちょっと安心)
彼女自身は「私は自己肯定感が低いから」と、書かないことを選択しました。

今の自分を否定したくはない

しばらく様子見していたのですが、同窓会自体は欠席予定だったので、色紙にも参加しないのは幹事さんにも申し訳なく、書かないことは今の自分やこれまでの生き方を否定しているかのような気持ちもあり、期限までには書こうと考えていました。
そんなに難しく考えなくてよい気もするのですけどね。

はて、何を書こうか……。
最終的には当り障りのないことを書きました。

おわりに

素敵な生き方

今の自分を自信をもって(素直に?)語ることができずモヤモヤとしていた中、昔と変わらずピュアで等身大の姿を見せてくれた友人がいました。
文章も飾らず、パートで働きながら子育てしている様子を語り、写真は子どもに撮ってもらったであろう日常の空間での一枚。
何かしらアピ―ルしているかのような投稿が多かった中に彼女の投稿を見つけたとき、昔と変わらず周囲に惑わされない彼女を感じ、素敵な歳の重ね方をしているなと嬉しくなりました。

私が素敵な生き方だと感じるのは、周囲に惑わされず、今の自分を受け入れて、素直に生きていることなのかな。
そんなことを気付かせてくれました。

そして、学生時代の夢を実現して社会に貢献している姿ももちろん。

昔話ができることの安心感

利害関係もなく、想い出を共有している友人との時間はとても楽です。
昔、母が通っていたブティック(←昭和な響き)のママさんから
「昔の自分を知っている人がいなくなっていくのは寂しいことよ」
と言われたことがあります。
本当にそうですね。
過去の自分が存在しなくなってしまうかのような感覚。
中学・高校に限らず、同じ思い出を共有している人は、かけがえのない存在なのだと思います。
なにも全員とではなく、そういう友人が1人でも2人でもいてくれることがありがたいです。

ホームカミングデーが50代で開催されること

歳を重ねてからの同窓会はドラマにもなるくらいですから、私だけではなく人の心をざわつかせるものですね。
当時付き合っていた人がいたならなおさらでしょう!(ふふっ)

事前のやり取りは対面ではなく、テキストでのやり取りが多かったため、いらぬ感情を余計に生み出したのかもしれません。
たかが色紙の小さなスペースに1枚の写真と80文字を入力するだけで、自分の生き方を見つめ、自問自答し、何かしらの決断をする。(そんなことを感じずさらっとする人もいるでしょう)
でも、そこに自分なりのことばで書いたことでスッキリしました。

モヤモヤがある一方で、懐かしい面々と再びつながり始める貴重な機会でもあります。
私の親しい友人間では、高校卒業の時に数人で行った卒業旅行のメンバーで、(来年受験生の子どもを抱えている友人がいるため)2年後に同じ場所を訪れようという話も出ています。

子どもから手が離れる時期。
会社人生の終わりが見え始める時期。
更年期など自分の体調に変化がみられる時期。
親の健康問題を抱えることが多くなる時期。
さまざまな岐路と向き合う時期だからこそ、ここからの人生を一緒に楽しめる友人との再会はよいものだなと感じました。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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ABOUT ME
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50代主婦ブロガー
これからは道のまん中を自分のために歩きたい / 子育てひと段落 / アクティブシニア / 京都好き(6年在住歴あり)/ 御朱印集め再開 / 友だちとの食べ歩きが楽しい / 元PCインストラクター / 資産運用とJIN:Rを勉強中 /
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